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Photo: The Kalyan minaret is one of the most prominent landmarks in the city of Buhara. The minaret was built by the Qarakhanid ruler Mohammad Arslan Khan in 1127 to summon Muslims to prayer five times a day. Credit: Kalinga Seneviratne | IDN-INPS

古代シルクロードの要衝、近代的な観光開発に踏み出す

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Photo: The Kalyan minaret is one of the most prominent landmarks in the city of Buhara. The minaret was built by the Qarakhanid ruler Mohammad Arslan Khan in 1127 to summon Muslims to prayer five times a day. Credit: Kalinga Seneviratne | IDN-INPS【ブハラ(ウズベキスタン)IDN=カリンガ・セネビラトネ】

ブハラ市は、アジアとアラブ世界や欧州を繋ぐシルクロードにおいて、交易上の要衝であった。ウズベキスタン政府が2016年に外国人観光客に対する規制を撤廃し、シルクロードに対する世界的な関心が高まる中、2000年の歴史を持つブハラは中央アジアの主要な観光地を目指す方針だ。

ブハラは、ペルシアやインド、中国、ロシアから訪れる商人らによって栄え、10世紀から17世紀にかけてのシルクロード発展の中で人気の中継拠点となった。

ブハラはまた、学問・宗教・文化の中心地でもあった。古くは8世紀にまで遡るペルシア文化の影響を色濃く残す、よく保存されたイスラム都市の典型と言ってよいだろう。

ペルシア式の大規模なマドラサ(イスラム神学校)の建物群は、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定されて以来、修復措置が取られてきた。こうしたマドラサはイスラム学問のための場所ではなく、アートギャラリーや土産物店、レストラン、劇場として機能している。おそらくこれは、旧ソ連時代からの流れであろう。

地元投資家や、とりわけトルコやロシアからの多くの外国人投資家が、かつてのマドラサ式を模倣した小さなホテルを旧市街に建設している。

地元の元文化人類学者エリザベタ・ネクラソワ氏は、この古代都市で観光インフラばかりが整備されることをあまり歓迎しているわけではない。ネクラソワ氏は、「ブハラは、年間数百万人の観光客を誘致できるだけのポテンシャルを備えてはいますが、観光開発は単に観光客が落とすカネだけではなく、民衆と文明が育んできた豊かな文化的知恵を伝えるものでなくてはなりません。例えば、ブハラには140カ所以上の文化的な見所がありますが、観光客を惹きつけ教育的効果もある場所を、さらに絞り込む必要があります。」と語った。

ネクラソワ氏はさらに、「開発事業の大半が進行している旧市街には、約100カ所の貯水槽と水を地域コミュニティーに運ぶ地下運河体系から成る古代からの水道システムがあります。これは旧市街の新たな観光スポットになる可能性があります。この街独自の作りや歴史に観光客を誘う新たなガイドブックが必要なのです。」と語った。

春は、桑の木に紅白のみずみずしいマルベリーが豊かに実る時期である。ブハラでは、旧市街の運河や通路に沿って「野生」のマルベリーが群生しており、地元の人々も観光客も、道すがらマルベリーを摘んで食べることができる。

ネクラソワ氏は、「ブハラにはかつてシルクロードが繁栄した時代に遡る興味深い歴史があります。この歴史に、この交易路がなぜシルクロードと呼ばれてたのかを観光客に伝える興味深いストーリーをつなげることができるのです。例えば、この古代都市にはかつて多様な独自のバザール(市場)が点在し、それらを発掘することが可能です。こうした歴史的な遺構を、シルクロードを再興しようとする現在の取り組みとうまく結びつける興味深いストーリーを構築すれば、観光客の関心を惹くことが可能です。」と語った。

ウズベキスタンは、近隣の中央アジア諸国と共同で、欧州のシェンゲン・ビザに似た「シルクロード・ビザ」の導入を検討している。同国は2017年、電子ビザシステムと、多くの欧州・アジア諸国市民向けのビザなし渡航制度を導入し、昨年の観光客は450万人以上と、それ以前の2倍に伸びた。

しかし、観光客のほとんどは首都のタシケントとムガール・イスラム文化揺籃の地であるサマルカンドを訪問している。ブハラはタシケントから列車で約8時間もかかる。近年、日本から導入した新幹線が開通し、移動時間は半分になった。

ブハラには、かつての文化・交易の中心地として、色とりどりの民族舞踊や細密画、人形など観光客を魅了するものが数多くある。旧市街の中心には、「アルク」と呼ばれている1500年の歴史を持つ土煉瓦でできた要塞があり、見事に修復されたマドラサや、美しい彫刻が施されたカラーン・ミナレット(尖塔)、そして精巧に積み上げた煉瓦で作られた世界で最も美しい建物群の一つであるサマニ霊廟に囲まれている。これらは、この古代イスラム都市の豊かな建築美を示すものである。

5月から9月にかけての観光シーズンには、 ナディール・ディヴァンベギ・マドラサが毎晩美しく彩られる。日中には土産物街なのだが、夜になると食事を楽しめる劇場に変わる。90分に及ぶ色とりどりの民族音楽・舞踊や中央アジア砂漠地帯のファッションショーをブハラ・フィルハーモニー・民族センターで観ることができる。

音楽は、インド・ラジャスタン州の民族音楽に非常によく似ている。「私たちは政府に雇用され毎日練習を積み重ねています。観光シーズンには毎日約500人の前でパフォーマンスをしています。」とグループのあるメンバーはIDNの取材に対して語った。

ブハラにはまた、起源がペルシアの写本が盛んに作られた10世紀に遡る、細密画芸術を育んできた歴史がある。この古い都市には多くのアートギャラリーがあり、その多くがアトリエも併設している。

地元の大学で8年間、細密画を教えているフェルズ・テムロフ氏は、ブハラで自らのアトリエ兼店舗を経営している。テムロフ氏は、「この仕事は教鞭をとるよりも面白いですね。いろんな人が来るし、海外に行く機会もあります。これまでに、フランスで2回、モスクワで3回、ウィーンで1回、展示会を開きました。ブハラ芸術はとても有名で、観光客もやってくるし、これで生計も立てられます。」と述べる一方で、あまりにも多くの人々が観光客需要を当て込んでこのビジネスに参入している現状に不満を抱いていた。

紙人形もまた地元名産品の一つであり、親指と人差し指を使った人形劇が繰り広げられる。父親から紙人形の作り方を習ったというファルーク・アクメドフ氏は、「3家族・17人でこの人形劇団を運営しています。」と語った。

観光シーズンには、この伝統工芸を学びに観光客が店を訪れる。アクメドフ氏の父親は紙人形を使った3分間のライブショーを実演してみせている。客はアトリエで自ら作った人形を50~100ドルで買うこともできる。「これは年間を通じてできる仕事ですが、私たちはオフシーズンにも人形を作っています。」とアクメドフ氏は語った。

細い路地沿いに住む多くの旧市街の住民らは、観光客向けの商売を始めるよう勧める政府に従って、家を増築している。

ソ連時代には政府所属のプロカメラマンだったシャフカート・ボルタエフ氏は、現在は年金暮らしだ。古い自宅の2階に3部屋を増築し「ホームステイリゾート」を作り上げた。フェイスブック上の5000人の友達を活用して、ビジネスを宣伝している。

ソ連崩壊後は厳しい時代でした。でも、今は政府が観光産業を奨励しており、新しい機会が生まれています。」と語るボルタエフ氏は、ブハラの昔ながらの写真を展示するギャラリーを開設し、そこでポストカードも作っている。

「私は人に会うのが好きで、写真業界で出会った知人を通じて観光客を呼び込み、ここに泊まってもらおうと思っています。クリエイティブな人たちにここに来てもらって、セミナーを開き、この古代都市やこの地域の面白いところを勉強していってほしいですね。」と楽観的な調子でボルタエフ氏は語った。(5.25. 2019) INPS Japan/ IDN-InDepth News

 

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